【愚痴】書けないことが多すぎる・神はいるのかの答え

こんにちは。前世占い師の立花です。

今日は愚痴です。

私が持っているネタは結構書けないことが多いんですね。

高き者たちから「ストップ」が入ることが多くて、ゴミ箱に記事が増えていく・・・。

怖い話とかは大丈夫なんですけど、たぶんみなさんが知りたい「理」につくものは

「人間に教えてはならない」

と言うものが多いんですよ。記事にするとヤバいのでストップがかかってしまう。

で、ゴミ箱に記事が溜まる。と。

理は知っていて当たり前という概念

私の中には「理は知っていて当たり前」という概念があります。

それは私の魂が生まれた経緯が関係してくるのですが、ここも話すのはタブー。

相談者さんの中で、それに気が付かれた方もいらっしゃいますが・・・そんなにバレバレかな・・・。

神はいるのか

神はいるのか。と言われたら私はこう答えます。

「そんなことも忘れてしまったのかい?」

と。

仏教では悟りの種(素質)のことを仏性と言い、生き物には仏性があると言います。

この仏性、仏教の世界では仏性と言うかもしれませんが、私は神の成分だと思っています。

魂がつくられたときに込められた神の成分。

宗教によって言い方はそれぞれなのでしょうけどね。

自分の中にある物の存在さえ忘れてしまっている人間と言う種族に、終わりを感じても何ら不思議はないと私は思っています。

見えないものを見る力・感じる力を失ってしまったからこそ

「神はいるのか」

なんて悩むわけで。その答えはあなたの魂の中にあるわけです。

あなたが人ならば。人でないなら、神の成分は持たないかもしれませんけどね

神は人を救わない・神が与えた試練

神は人を救いません。たまに気まぐれ的に人にかまうことはありますけど。

祈りが通じて迷惑なかまわれ方をすることが、外国で目撃されてますよね。

奇跡を起こすキリスト人形とか・・・一般の人の家で現れると、絶対大変じゃないですか。

迷惑を考えないのが神らしいとも言えますが。

神の祝福が必ずしも幸運につながるとは言えませんよね。まあ貢物で裕福になるかな・・・?

でもひっきりなしに信者が来るのは嫌だなあ・・・。

さて、

「神が与えた試練だ」

という言葉がありますが、神は一々個人を見ていません。試練は魂を磨くために必要なことで、それは神が与えているのではなく、自分自身の魂が高みに上るために選んだ道。

とそろそろ触れちゃいけないことに触れそうなので、この話はここまでに。

あなたは神が存在すると思いますか?

 

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